ゼイン役
Zain Al Pafeea
2004年10月10日シリアのダルアー、東マリハで生まれる。
シリア内戦の軍事的対立のため、2012年以来教育を受けることができず、その年、国内情勢の治安悪化により、家族でレバノンへ逃れた。シリア難民として、ベイルートでは、一般の教育になじめず、家庭教師から一貫性のない教育を受けることになる。貧しい生活をおくり、10歳の時からスーパーマーケットの配達をする仕事を含む多くの仕事で、家計を助けた。2018年8月、国連難民機関の助けを借りて、ノルウェーへの第三国定住が承認され、家族とともに移住している。
【キャスティング】
2016年に、ベイルートの住宅地で子供たちの集団の中で本作のキャスティング・ディレクターの目に留まった。ゼインの中に潜むウィットを含んだ柔らかくてシャープな素質と、その心を奪われるようなカリスマ性が直ちに見抜かれた。まさに監督のナディーン・ラバキーが探していた「宝石」である。
<ゼインについて>ラバキー監督コメント
「私がゼインを初めて見たとき、彼が私たちのヒーローになるだろうということは非常に明白でした。彼の目にはとても悲しい部分があります。彼はまた、私たちが話していることを(映画の中で)理解しています、同じような境遇だからです。そしてそれは彼の目に現れ、映画にその力を最終的に与えてくれました。私の映画には俳優はいません。彼ら全員は彼ら自身の役割、彼ら自身の人生を演じています。彼らは皆、自分たちの生活を何らかの方法で、彼らの闘い、彼らの窮状を描いているのです。また、ゼインは撮影中に何度か即興で自分の言葉を脚本に加えました。ゼインは彼自身の名前をかろうじて書くことができます、それでも彼は彼自身の表現、言葉と行為さえも加えました。それらのすべてはとても自然なもので、そして場面をさらに強くしました」
ラヒル・シファラ役
(ティゲスト・アイロ)
Yordanos Shiferaw
エリトリアの首都であるアスマラで生まれた(生まれた年は、80年代末から90年代初めの間)。彼女の母親が、徒歩での険しく長い旅路の果てに死んでしまった後、エチオピアのデブレゼイトにある難民キャンプで幼少を過ごす。彼女の父親は、彼女と短期間一緒に暮らした後、戦争の古傷で死んでしまった。その後、数年間の間、4人の姉妹から引き裂かれ、常に移動する日々であった。教育を受けることはなく、ホームレスの時は、路上で靴磨きや駐車メーター係などの仕事をし、まだ若い頃から大人にならざるを得なかった。20歳になった頃、彼女の姉妹がベイルートで住み込みのお手伝いをしていることを知る。彼女もお手伝いとして雇われるが、やがて雇い主の下から逃げ、その後も国内で違法に働き続けた。映画の物語と同様、本作品撮影中の2016年12月に不法移民として逮捕され、拘束されてしまうが、のちにナディーン・ラバキー監督が保証人となり、釈放された。
【キャスティング】
2016年に、本作のキャスティング・ディレクターに声をかけられる。そこで、自分の苦悩や、保護者のいない子供を助けたいという自分の夢について打ち明ける。
ヨナス役
Boluwatife Treasure Bankole
2015年11月21日マウントレバノン生まれ。
トレジャーの父親オルイェミ・ダミロラ・バンコーレ(ナイジェリアのイケジ・アラケジ出身)は、2014年にレバノンで、トレジャーの母親ローズマリー・カランジョ(ケニアのコマロック出身)と出会う。トレジャーは、2015年11月21日に山岳レバノン県のジャール・エル・ディブにあるアブー・ジャウド院で生まれる。両親は清掃業の契約でレバノンに入国したものの、父親はアンダーグラウンドのアフリカ音楽シーンでDJ業を始め、母親は主婦として娘の面倒を見ていた。家族は、度々直面する人種差別を逃れるために、家を転々とする生活を送っていた。2015年には、ベイルートのナバアに移住し、2016年に本作のキャスティング・ディレクターと出会う。2016年末の撮影真っただ中に、トレジャーの両親は逮捕されてしまう。ちょうどその頃、トレジャーの演じるヨナス(1歳)が母親を失うところを撮影していた。映画の撮影隊は立ち上がり、「彼らを釈放させ、安全に国を去るための時間を与えて欲しい」と公安機関に訴えた。家族は、2018年3月6日に国外退去させられた。トレジャーと母親はケニアに戻り、ナイジェリアに帰国した父親とは離れ離れになっている。もし状況が許すならば、いつか家族一緒に生活したいと願っている。
スアード(ゼインの母役)
Kawthar Al Haddad
1972年にレバノンのトリポリ、ワディ・カレドで生まれる。
両親と6人のきょうだいたちと共にクウェートに移住するが、1975年にその移住先で父親は亡くなってしまう。彼らは、クウェート侵攻が発生した(イラクによる侵攻)1990年に家族でベイルートに戻る。レバノンの第二級身分証明書を保持し、「第二級市民」として扱われている。もともとは、勉強をして医者になるのが夢であったが、結局は学校を中退して、母親の手伝いをしなければならなかった。1999年には、ヤッサー・イッサと結婚した。ヤッサーも同様、完全に国民としては認められていない身分であった。以来、2人の息子がまともな教育、健康保険、予防接種を受けられるように正式な国籍登録を行おうとしているが、なかなかうまくいかない。家政婦として働きながら、他の低賃金の仕事も掛け持ちして家計を支えてきた。2016年、ベイルートのワタ・エル・ムサイビで亡くなった兄弟の子供たちのお世話をしている時に、本作のキャスティング・ディレクターと出会う。
セリーム(ゼインの父役)
Fadi Kamel Youssef
1971年3月21日にレバノン・ベイルートで生まれる。
両親の離婚によりトラブルに見舞われ、10代の頃はあらゆる所で根無し草のような生活を送っていた。5年生の時に中退している。1994年バイク事故により、足を負傷し、病院の治療費の請求書を受け取った際、お金が足りずに自殺未遂を起こす。11歳の頃からあらゆる仕事をしており、12年間タクシードライバーを勤め、最近では彼の住む町でカフェのオーナーをしていた。2006年の戦争中に結婚、2014年に第一子が産まれた。2017年の夏の撮影後、自分の生活を変えようと思い厚生施設に参加する。
キャスティングのインタビュー中、“自分は、貧困層の大使であり、ビルの屋根や岩の上、路上などで寝る事もしばしあった”と自分の過去を思い出し語っていた。
サハル役
Cedra Izam
2004年に、父親の故郷のシリアのアレッポで生まれる。
2012年にレバノンに移り、両親と4人の兄弟と共にベイルートで生活を始めた。2014年には、姉が海で溺死した。2016年に妹が産まれ、両親はその子に姉の名を付けた。シリアの学校に通っていたが、ベイルートで違う人生がある事を知った。2014年、不法滞在の父親に家族の援助を頼まれ、ベイルートの道端でチューイングガムを売っていた。そして2016年にキャスティング・ディレクターの目に留まった。
アスプロ役
Alaa Chouchnieh
1979年9月17日にアラブ首長国連邦のアブダビで生まれる。
1990年イエメン戦争中にベイルートに移るまで、イエメンで育った。彼はパレスチナとレバノンの二つの国籍を持っている。レバノンでは、経済的理由により、両親に退学させられる4年生迄は、国際連合パレスチナ難民救済事業機関の学校で授業を受けていた。その後は、指揮官によって裏切られて逮捕、5年間服役するまで彼自身が働いていた身辺警備(個人保護)の政党に関与していた。
“私は、木に葉っぱがあるより、逮捕状を持っている”と、2016年にキャスティング・ディレクターが会った時に、そう話していた。
2018年に、ベイルートのJalloulに食べ物と飲み物を売るキオスクをオープンした。